櫻井よしこさんのブログより

「 教育の危機を直視し親守詩(おやもりうた)を広める愛媛県、香川県 」

『週刊ダイヤモンド』   2009年8月15・22日合併号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 801
世界各国に子守詩(こもりうた)はあっても、親守詩(おやもりうた)があるのは珍しい。このユニークな「親守詩」は司馬遼太郎の『坂の上の雲』で知られる愛媛県松山市で生まれた。生みの親は明星大学の髙橋史朗教授だと言ってよいだろう。 髙橋教授は現代日本の教育の荒廃は、よき家庭教育が消えたことが主因だとして、教育に力を注いできた。親は親らしくなければならず、父親、母親にはおのお の異なる役割と責任がある、母親は子どもを愛情深く抱きとめ、父親は子どもが乗り越えるべき壁となって子どもを鍛える存在だと説いてきた。だが、そのよう なまともな親は少なくなった。教授が語る。 「数年前、松山青年会議所(JC)の皆さんと話していて、いったんおとなになった親を再教育するのは難しい。けれど、子どもが変われば親も変わる。親を変 えることでよい教育を目指すより、子どもに働きかけるほうが早いとなった。こうして松山JCが親守詩を募集しました。一般からも松山市内の小中学校から も、たくさんの応募がありました」 応募作品は2006年、「親守歌を歌おう!詩(うた)って出来る親孝行」という小冊子にまとめられた。 「母が流す涙は僕の汗となり、僕が流す汗は母の笑顔となる/僕が背負ったもの全て脱ぎ捨てて 旅立つと誓ったそんな二十歳の夜」 岡村正一さんの「二十歳の勇者」の一部である。成人して親元を離れ、都会へ旅立つ決意、母親が注ぎ込んでくれた自分への愛、その愛に報いるための旅立ちなのだとの想いが感じられる。 森誠司さんは「鼓動」の題で書いた。 「おかあにたたかれ 愛されて 命の重さを知った/おとうになぐられ ためされて 広い背中を追ってきた」 こうしたおとなの詩とともに、子どもたちもいい作品を書いている。 「大好きな 母さんおぶるの ぼくのゆめ」(和気小学、三年) 「お父さん いそがしすぎて ぼくさびしい」(番町小学、四年) また「母への想い」として、みどり小学五年生は書いた。 「ありがたさ 五七五では おさまらない」 愛媛県の加戸守行知事は文部官僚出身だが、日教組教育を否定し、日本人の教育は日本の歴史と文化に根ざすべきだと主張する。松山市の中村時広市長も地域の歴史、文化、伝統こそが財産であり、教育はそうした地域に息づく価値観を反映すべきだと考える。 伝統的な価値観を大事にする愛媛県であり、松山市だからこそ人びとは教育の危機を直視し、親守詩を広げたのだろう。髙橋教授が語る。 「親守詩を募集した松山JCは毎年人が入れ替わります。結果、親守詩を通して現代教育を考える試みは今中断中です。しかし、試みは香川県に引き継がれ、県家庭教育研究会(モラロジー)と教育文化研究所が続けています」 松山JCの中断は惜しいけれど、香川県の試みでも、親子の絆を詩った多くの詩歌が心を打つ。 「すばらしい家庭」と題して川添小学六年の福島こころさん。 「父と母 びゅんびゅん回す 愛のムチ」 仏生山小学二年の薄田恭平さん。「お母さん ぼくよりぼくが 大好きだ」。 ここまで子どもがわかっていることに、親は勇気百倍だろう。 庵治中学一年の髙砂朱里さん。 「母の背に なかなか言えない ごめんなさい」 朱里さんのご両親もきっと経験ずみの気持ちだ。 香東中学三年の佐野圭佑さん。 「腹が立つ 頑張る母に キレる自分」 この句にその年齢当時の自身の姿を見る親御さんも多いだろう。夏休み、いつもより多くの時間を共に過ごすとき、互いへの想いを確かめ合い、親子の絆を深めてほしいと願っている。





 小生の尊敬してやまない 「櫻井よしこ」さん いつもすばらしい観点でさまざまなものをブログにあげておられます。
 
 時に民主党の大勝をうけ日教組がウキウキであろう9月、新学期も始まり 心配でしかたない。
期待されての政権交代と本気で思っているのは、どのくらいいるんだろう?
 民主党のマニフェストがすばらしいと思っている輩などほとんどいないのではないか?
年金が心配な高齢者、子供手当てがほしい子育て世代、高速道路タダで安けりゃなんでもいい馬鹿
 みんな自己中ばかり、 日教組が育てたゆとり馬鹿とGHQにコロッと騙された団塊世代だろう。
リーマンショックで世界中が不景気になってることを忘れて、自分の周りだけが(生活が)大変になってるとでも思っているのか?
 不満の捌け口として、マスコミどもが利用したのが自民党ではなかったか?その利害関係が左翼と一致し、本来放送すべき、国益に関することや世界情勢、世界での人権問題を蔑ろにし、やれ、麻生おろしだ、のりぴーだと騒ぎまくり、自民否定反動による民主勝利は何の価値もないどころか、ややともすれば、取り返しのつかないことにもなりかねない。

 選挙前、自民叩きに余念がないとも取れるようなワイドショーで弁を振るった大和田獏、選挙後の言葉が(国民が下した審判だから)「選んだ国民が責任を取らなければならない」という意味での発言があった、公共の電波にのせてせっせと国民を煽った責任は微塵も感じないらしい。
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 とはいえ、正論といえばそうであるし、番組の司会をこき下ろしてもしかたがない。
社会で生きていく以上何にも属さないわけにはいかない、しかし流されるままなのは無責任。
 不満を口にすることそのものをタブー視する人もいるが、建設的意見の出ないグループは存在のいみがない。
 
 かつてキリストは「悔い改めよ、天国は近づいた」と仰せられた。
不満のないところには自覚がなく、自覚なきところに感謝なし、感謝のないところには悔い改めはない。
悔い改めるという崇高な宗教心は気高き責任感を必要とする。

逸れてきたが、輿石が悪さしなきゃいいんだが、そうは問屋が卸さんだろう、やつらのやることは結局愚民化政策であり、心を育てるはずの宗教は「あへん」であり、中華思想の流れに従って世界赤化を成し遂げようとするのが、・・・・・     だからである。

 

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